6杯砂糖のスカらない話

 

SNKなんですぐはっちゃけてしまうん・・・・・


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オレはSNK信者である。同時にUWF信者でもある。


3文字に弱いだけじゃねーのか?と思われがちだがNHKとかWHOとかは別段好きじゃないのでそういう事でもない。


UWFやNHKは一旦置いといて、どれくらいのSNK信者かというと以前も少し書いたがちびまるこちゃん以外のNEOGEOROM全て所有しているくらいには信者。


無論ハイパーネオジオ64も。


そんなオレでもこれは衝撃すぎた。


SNKH.jpg


やられた。


「SNKヒロインズ Tag Team Frenzy」


今夏発売予定の格闘アクションだそうだ・・・・


完璧やられた・・・・・


サムスピの新作来る?!ついに餓狼の続編が!?とか期待してたらまさかのこれっていう。


忘れてた。


SNKってこういうことやらかす集団だったことを・・・


昨年の収支がめっちゃ良かったらしい情報を見て餓狼や侍魂、ワンチャン龍虎や月華に期待してたら。


SNKヒロインを集めた2VS2の格闘アクションゲームらしい。


正気ですかwwwwwwwwww


オレの中で、世の中には無条件で支持すべきものが3つあって、前田日明の言う事、西森博之の出す漫画、SNKの作るゲームと言うね?


しかし、これはどうか。


さすがにwwwwww


なんならもうパッケージからきつい。


伝説のドラゴン56


いやさ、こういう路線もいいんでしょう。


むしろ今の時勢にマッチしてる?のかもしれん。こういう方が売れるのかもしれん。


だけど、せっかく復活した今こそ、正統派SNK格闘ゲームの続編を出してほしかった・・・・


ネオジオポケットの悲劇を忘れたんか・・・・・


SNKH2.jpg


SNKはわかってない・・・・・


自分とこのファンはオタ層のみとでも思ってんのか・・・・


いやそういうファンも大勢おるんやろうけど、オレらみたいなゴッツ系もめっちゃいるからね?!


さすがにこれ響かないから!wwwwww


格闘ゲームのタイトル買うときってF宮殿KOF部の中で相談するんだけど、流石にこれは皆だめでしょう・・・


いや、ギャルゲー好きを公言してるアンフィニ君にはどストライクか・・・


ワンチャン、狼の中の狼と呼ばれるコブラも食いつきそうではある・・・・





なんか操作も従来のコマンド式じゃなくてレバー+ボタンで簡単操作とかなんとか。


BURIKIの反省が活かされてないwwwwwwwwww


頼むよSNK・・・


呉越地方


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前項、劉琦の項で彼が赴任した江夏が非常にデンジャラスな土地だという話をしたが、その理由は荊州と孫呉の関係にある。


簡単に言うと、前荊州太守である黄祖が、現、呉の頭である孫権の父親である孫堅を殺しているからだ。


正確には、孫堅を殺したのは黄祖の部下である呂公であり、南陽の袁術の命令を受けて攻めてきた孫堅に木っ端微塵にやられた黄祖軍が敗走しながら破れかぶれで放った矢が孫堅にビッグヒットした結果である。


ともあれ、その件以来、孫家と孫家に従う呉越地方の豪族にとって黄祖は八つ裂きにしても尚足りぬ不倶戴天の敵となったのであり、黄祖の赴任する江夏は常に孫呉の恨みを叩きつけられることになるのである。


本来ならば敵の大将、しかも江東の虎と名を馳せた孫文台を討ち取った呂公のナイスショットなのだが、そのせいで呉のチンピラ軍団の恨みを一身に背負うこととなった黄祖にとってはバッドショットだったのかもしれない。


孫呉は他の軍閥とは毛色が違い、中央集権制では無い。


呉越地方の豪族らによる合議制であり、当時その地方の豪族で最も力を持っていたのが孫家と言うだけで、曹操のところのように絶対君主であり、他は全て配下という形態とは大きく違う。


そんな訳だから組織としてはやや不安定で、ちょっとでも孫家が下手うつと、取って代わろうとする豪族が犇めいている無法地帯でもある。その代わりに肉親の情は中原と比較出来ないほどに強い。いわゆる武闘派893組織と考えて欲しい。


息子を殺した張繍や賈詡をも能力に応じて重用する曹操とは違い、孫堅(父親)を殺した黄祖を殺すのは絶対なのである。


さしあたり江東の軍議の大半はこのような感じである(タブン)


孫権 「おい、テメぇら誰に怒ってるんだ!?袁紹か?劉表か?それとも袁術か?」


甘寧 「オレは呂蒙の兄貴んとこに行った料理人に怒ってます!」


孫権 「料理人か。おめーはそれでいいや」


周泰 「我が君、オレは荊州獲らんことには明るい未来が見えません!!」


孫権 「探せ!自分で!!」


周瑜 「我が君、亡き孫文台様の仇敵、黄祖を討ち取らぬことには伯符の亡魂も浮かばれますまい」


孫権 「おう、そうじゃ!聞いたかオドレら!公瑾の言うとおりじゃ!!」


黄蓋 「そん通りじゃカシラ!黄祖のどグサレだけは皮剥いで酒の肴に喰うたらな気ぃ済まんで!!!!」


程普 「大殿(孫堅)・・・若ァッ・・・(孫策)、見とうてくださいや!!周郎もたまにはいい事言うで!」
(程普と周瑜は当初不仲であった)


魯粛 「カシラぁ!やったりましょうや!黄祖の首獲らん事には先代にも先々代にも顔向け出来ませんで!!」


孫権 「よおおおし!カチ込みの準備せーやぁ!!!今度の戦争はハンパじゃないけぇのぉぉ!!!」


てな感じで黄祖は運良く(悪く?)孫堅を討ち取った後、孫策、孫権と二代に渡って孫呉の恨みを一身に買い、江東の荒らくれ集団から頻繁に命を狙われ続ける事となる。


結果、孫権の代でついに黄祖は討ち取られ、八つ裂きにされた挙句、首を晒される事となる。


もちろん、その際、江夏の地は孫呉の連中に存分以上に蹂躙されている。


殺され、犯され、食料は軒並み持ち去られ、江夏住民の大半も呉越地方に強制連行(拐われ)されている。


これ以外にも孫権は度々兵を動員して他所から大量の人民を拐わせている。


江東は中原と比較して人口が少なく、前述の通り、豪族同士の仁義なき抗争も耐えない土地柄故に、足りぬ人員を他所から補充(誘拐)するよりなかったのである。


孫呉は結構国際色豊かな土地柄だった。それはあちこちから人攫いした結果だ。


当の孫権自体が碧眼紫髯と風貌を記されているので、なんなら孫堅と正妻の子ではなく、孫堅がどっかからさらって来た異民族の女に産ませた子供である可能性も割りとあるんじゃなかろうか。


話はそれたが、憎き黄祖を討ち取り江夏を落としたわけだが、不思議なことに孫呉は江夏に滞在はしなかった。黄祖を討ち取り、江夏城を占拠したが、黄祖の一族郎党を皆殺しにし、江夏を散々荒らした後に普通に撤退している。


ある文献ではこれは張子布(張昭)の献言によるものだと書かれている。


黄祖の首を獲り、江夏城を占拠し、すわ荊州侵攻と沸き立つ荒くれ者共に、呉の重鎮(孫策時代からの宿老)張昭曰く「弧城之不守」(弧城は之を守らず)と。


江夏を占拠しても、荊州の中の孤立した城であり、江東とは離れている。これを守るのに兵を割くよりも、機を見てまるっと荊州を獲るのが上策と。


まぁそんな感じである。


孫権 「そがいゆうてもオジキ、せっかく獲ったもんを・・・・」


張昭 「いんや、ここで無理して江夏に時間つこうても曹操もおるけん、後々のためにも今は放棄するんがええんよ、のう」


というかんじで、孫権も張昭だけには無理も言えない立場であったので渋々江夏を放棄した。


なんせ亡き兄、孫策から「内政は張昭に、外交は周瑜に、それぞれを父兄と思って接せよ」と遺言されているうちの一人である。


実際孫権に対して直言出来たのは呉国太(架空の人物で孫堅の側室)か張昭のみと言われている。


とは言え、あまりにズバズバと耳に痛いことも遠慮なく言う張昭はやっぱり孫権と折り合いも悪く、時にはお互いの家の扉に泥を塗りつけたり、相手の家の門に火をつけたり、その後お互い謝罪し合ったりと一国の主や元老とは思えぬ子供じみた喧嘩を繰り返している。


趙雲を馬ごと光を放って井戸から飛び上がるアメコミヒーローにしたり、張飛に叫び声一発でソニックブームで人を殺させたりとか訳の分からぬ脚色をせずに、こういう正史なのにナチュラルに笑える二人を三国志演義も起用すればいいのにと思うが、まぁ演義の主人公は蜀漢なので蜀漢の人間にスポットが当たるのは仕方ない。


困った人達である。これも呉越地方の人間の気性ゆえと捉えて間違いないところだ。



さて、黄祖だが演義方面では能無しのケチタレ(甘寧に恩賞を与えない等)としてサラっと描かれているが、実際には頻繁にカチ込みをかけてくる孫呉を苦心しながらも幾度も追い払っている。


しかも憐れむべきことに、その際、主君である本拠荊州、劉表からはまったくと言っても過言でないほどに援軍が無い。


普通に考えれば呉との国境線であり最前線である江夏に援軍を送るなり、もう少しマシな対応をするところだが劉表は黄祖を江夏太守に任命し赴任させたあとはほぼガン無視している。


いわゆる人身御供と言っても良い。


江夏の地と人民、黄祖の命と引き換えに孫呉の怒りを鎮めようとしていたのは明白である。


太守ってのは、国家の長から任命された、今で言うところの県知事レベルであり、動かせる兵も、使える兵糧も領土内のもののみで、それ以上は劉表の裁断無くしてはどうにもならないわけで、その劉表が江夏をガン無視なのだから黄祖もどうしようもない。


本家からの支援(軍的なものも経済的なものも)も無く、前述のように凶暴な隣国の組織との紛争地帯故に、江夏単体での実入りも少ない。


挙句、二月と空けずに敵対組織が「おやっさんの仇!」とカチ込んでくるのだから、黄祖にとってはまったく楽しい太守ではなかっただろう。


甘寧に十分な恩賞を与えられなかったのも同情の余地がある。


その甘興覇も川族上がりの893モノで、あれこれと問題が絶えぬ人であった。


孫権をして「魏に張遼がおるならウチには興覇がおるわ!」と言わしめるほどの呉を代表するアルティメットウォリアーであるのは間違いないのだが、とかく粗暴で、なにかあるとすぐ人を殺す。


ある時、甘寧の家人である料理人が些細な粗相(食事をこぼす程度のこと)をした時、甘寧は即座にこの者を打ち殺そうとした。


怯えた料理人は呂蒙(甘寧の上役に当たる)の家へ逃げ込み、事情を聞いた呂蒙が甘寧にとりなし、赦免すると言う条件でこの料理人を甘寧に返した。


ところがその翌日、舌の根も乾かぬ内に甘寧はこの料理人をさわやかに殺してのけた。


面目丸つぶれの呂蒙も流石に之には激怒して、甘寧の邸宅へと怒鳴り込むこととなる。


呂蒙 「興覇おどれ!!ワシとの約束をなんじゃと思うとるんなら!」


と尋ねると


甘寧 「アニキそがいにほたえんでくださいや。アニキの言うとおり許したんですがのう、今日改めてアイツがまた粗相したんで殺しただけですけん。」


これには呂蒙も他の親分連中も「興覇のやることやけん・・・」と呆れるしか無かった。


またある時は、戦勝を祝う孫家の祝宴の席で突如ドスを振り回して甘寧に斬りかかる若者が居た。


甘寧 「このクソワッパ!何の真似じゃあ!!」


甘寧もすぐに臨戦態勢となり、ドスを抜き放ち、上着を脱いで応戦した。右肩から腹部に至るまで(正史)に現代ならば銭湯に入れない男らしさのきらりと香るお絵かきをご開帳しながら。


 入れ墨は当時の呉越地方の慣習で男子なら幼年期から殆どの人間が入れている


凌統 「親父殺った仇と同じ席でうめぇ酒なぞ呑めんのんじゃ!死にさらせクソ甘寧が!!」


孫権 「こらえんか公績(凌統)!」


凌統 「後生じゃけ!殺らせてつかぁさいカシラァ!」


若者はかつて甘寧が敵方に居た頃に父である凌操を殺されている凌統であった。


黄蓋 「ドスはハスるんじゃのうて刺して抉らんか公績!!」


魯粛 「興覇、若輩もんにえろう舐められとるのう?!」


周瑜 「ふっ。興覇も相変わらずよ。小喬、小喬は何処か。こっちへ来て酌をせよ」


張昭 「若いもんはええのう、儂も若い頃は400戦無敗のチョークスリーパーで」


程普 「周郎はなんじゃ、また軍議に女子なぞ侍らせおってからに!」


甘寧 「おう!来さらさんかいガキが!親父と同じとこにすぐ送ってやるけぇ!!!」


孫権 「慎まんか興覇!!」


とか好き勝手な事をそれぞれが言う中、あっという間に戦勝の祝宴は血塗れの宴へと変わっていくのである。


この期も暫くの間は凌統と甘寧の遺恨は続き、孫権も大いに頭を悩ませたという。


孫仲謀も兄である孫伯符に、「軍を率いることにかけては私に及ばないが、皆をまとめることにおいては~」とか言われた人物であるので厨房ではなかった。色々と軍団をまとめるのに苦心した様子が史書からは伺える。


と、まぁこのような感じで、曹操を盟主として法による完全な中央集権の成されていた魏や、ダメ集団なりに孔明や糜竺、簡雍の立案の元それなりの軍規や法を整えようとしていた蜀と比較しても非常に荒々しい集団だったというわけだ。


ちなみに余談ではあるが、この時代の場合、例えば周瑜公瑾を例にすると、


周(姓) 瑜(名・諱) 公瑾(字)であり、現代で言えば、周家の瑜くん、といったところ。字(あざな)と言うのは下記の通り色々と呼び方にも気を使う時代なので、あえて一般的に呼びやすい(呼んでもいい)名前を自分(或いは親など)が付けたもの。


周瑜と呼べば呼び捨て(無礼)となる。


周公瑾と呼べば呼び捨てにはならず、礼に則ったものとなる。周さん、と敬称を付けて呼ぶ感じ。


公瑾と字だけで呼ぶのはそれなりに親しいもの限定(友達とか)。孫伯符や魯子敬などは公瑾と呼んでいただろう。


瑜と呼べるのは肉親か、相当に親しい者、或いは主君に相当する人間のみとなる。(周瑜も同様)


そして周瑜公瑾!と姓名字をすべてまとめて呼ぶことはありえない。


日本の三国志かぶれの大半はそうやってフルで呼ぶわけだが。これは誠にありえない呼び方であって、例を出せば、「棚橋弘至弘至」と呼ぶようなものなのでお慎みあれ。


例外として、敵対者は周瑜と呼び捨てにするだろう。


それは戦国時代の我が国も同様で、織田信長に対し、部下がNHK等であるように「信長様!」などと呼ばわることはありえない事であり、即座に打ち首にされても致し方ない。


そう呼ぶのは敵対国か、肉親くらいのものであり、基本的には「殿」「上様」「お館様」など(その家や状況による)と呼ぶか、或いは弾正忠(だんじょうのちゅう)様とか、右府様とか階級で呼ぶ、或いは支配地(尾張殿とか三河殿(家康)とか)で呼ぶのが通例である。


信長のところに家康が遊びに来た場合、それを伝える信長の部下は「徳川三河守様参られました」と言うのが適切であり、同盟だが年長で主従関係で言えば主にあたる信長は「よう来た家康」と呼んでも許される立場。


家康は当然「右府様」とかなんとか官位などで呼ぶだろう。


三国時代もそのままであり、許褚などが曹操を呼ぶ場合、基本的には官職、例えば「曹丞相」と呼ぶだろうし、曹操に対し孟徳とか、曹操とか幼名である阿瞞とかで「お~い、あま~んあそぼ~」とか言える(曹操に許されている)のは夏侯惇くらい。


ま、めんどくさい時代だ。


今でもなんとなく名残は残っていて、会社とかでも上司に対しては「~さん」とはあまり呼ばない。


役職名を付ける。「田中部長」とか。同期とかには普通に「~さん」とかでもOKだが上司には役職名を付けて呼ぶ場合が多い。


当時は呪詛等が信じられていた時代であり(効果はともかく、忌むべき事象として)、本名を知られればそれを使って呪詛をかけられるというような事を避けるためにこういう面倒なアレになっている。


なので、貴方がもし、周瑜の部下であるならば大都督!とか役職名で呼ぶのが最もよろしかろう。


同僚でそれなりに地位も同じくらいなら当たり障りなく、周公瑾と呼んでも差し支えない。


ちょっと気心の知れる仲なら勇気を出して公瑾、と字だけで呼んでもお咎めなしだ。


部下でも何でも無く周瑜を尊敬する呉の一国民であれば周郎(周瑜のニックネーム的なもの)と呼んで遠目で見てればよい。(郎とは幼い、子供のようなと言う意味合いだが、周瑜の場合はいくつになっても若々しい様を称える意味で使われていた)


もうまじでマブダチ!あるいは周瑜の上官!って言うのなら周瑜、と呼べばいい。無論、公瑾、でもOKだ。


まぁそんな感じでとにかく黄祖は不運だったよねって話。


酒見健一リスペクト。

劉琦


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劉琦


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荊州刺史であった劉表景升の長子。


殺戮マシーンや謀略の人非人の多い三国志中では似つかわしくない温和で心優しい人物である。(と書かれている)


演義ではついでに非常に病弱で、隙あらば涙を流す柔弱な人物という些か故人にとっては有難くない設定も(余計に)加えられている。


本来ならば劉表亡き後は、長子として彼が荊州を継ぐはずだったが(劉表もそのつもりで居た)、劉表の後妻である蔡夫人と、その弟にして荊州の軍務の重鎮である蔡瑁の計略により継嗣の座を追われる


蔡瑁の姉は演義では劉表の後妻で、劉琮は劉表と蔡夫人の息子と言う設定だが、蔡瑁の姉の娘(蔡瑁の姪)が劉表の次子である劉琮の嫁になったのであり、蔡瑁の姉は劉表の後妻ではないし、劉琮の母でもない。劉琮の義母と言うのが正史に記されている彼女の立ち位置だ。


まぁぶっちゃけ我々にとっては蔡夫人の立ち位置など、どっちでもいい話な上に、正史通りでいくと面倒なので演義を採用して劉表の後妻設定を使おう。


ん?じゃあ劉琦の実母は?


と言う話だが特に正史や演義、双方に登場しないので、まぁ早い段階で死んでるのだろう。


死因は、かなりの美食家であった劉表に茶の入れ方が云々とか、このあらいを作ったのは誰だ!とか虐められて死んだのかもしれないし、劉表が後の世に戦乱を巻き起こすと危惧したため劉表と道場で一騎討ちとかして死んだのかもしれないし、だったら尚更、劉琦は「貴様からはすべてを取り戻す!」とか言って劉拳トーナメントなどを開催し、劉表とか蔡瑁とか劉琮とか皆殺しにして、劉財閥当主になったらよかったのに、やはりそういう性格ではなかったらしい。


要するには劉表と先妻の間にできた長子、劉琦よりも自分と劉表の間に出来た次子、劉琮を荊州の跡継ぎにしたいという、よくありがちなアレである。
(正史Verで言えば、自分の娘婿にあとを継がせたいってこと)


まままま、好意的に解釈すると、自分の腹を痛めた実子を大切にしたいという母親の心情はさもありなんと言ったところではあるが、これにより、何の罪も無い劉琦は蔡瑁と蔡夫人のマーダーリスト(殺したいリスト)のNo1になってしまうのである。


劉表に対して劉琦のあることないこと(殆どはないことだが)を讒言するまではまだかわいいもので、この姉弟のやりようは相当だったのであろう。


劉琦自身が「このままでは殺される・・・」とはっきり自覚して周囲に相談するくらいなのだから、相当壮絶にして露骨なママハハブギが繰り広げられていたのは想像に難くない。


そこで客将として荊州に身を寄せ、劉表の信頼も(それなりに)篤かった我らが宿無し男、劉玄徳に相談することになる。


劉琦 「※叔父上・・・・(別に戸籍上は叔父でもなんでもないが) 私は継母や蔡瑁に命を狙われ、風前の灯で御座います。どうか憐れと思し召してお助けくだされ・・・」


てな具合で、顔面に涙を貼り付けた劉琦が懇願するのである。


※ 当時の中国人はなんかあるとすぐに義兄弟の契りを交わすのでその類と考えてもらえばいい。(更に同性だし)


しかし、この時代の通年としては余所者が他家のお家事情に口を挟むのは同理に合わないし、なにより宿無しの劉備軍団は劉表に世話(寄生)になっている身であり、大したことも出来ない。


更に当時の荊州の事情で言えば、東からは孫権が、北からは曹操が荊州を狙っており、まさに危機。


劉備 「劉琦殿、お気持ちお察しいたす・・・そうは言えども孝養を尽くせば気持ちは伝わるもので御座る」


とかなんとか適当なことを言ってその場を凌ぐしかなかったわけだ。


自分を殺そうとしている継母に孝養を尽くせとは、他に良案は無かったのか(言いたいことはそれだけか)劉備!とアンチで無くとも劉備のあまりに適当な助言に辟易しそうなものだが、まぁ我らが劉玄徳にそれ以上を求めるのは厳しいであろう。


後の世の一部(演義派=劉備派)の人のために書いておくと、さすがに劉備はこの憐れな公子をまるっきり見捨てたわけではない。


病床の劉表の世継ぎの相談にはしっかりと「長子である劉琦殿然るべからん」と答えている。


そう答えた結果、蔡瑁&蔡瑁の姉のマーダーリストのNo2に掲載される羽目になるのだが。


有名な的盧馬の激流渡りを創作するのに都合よく進んだわけだ。


而して、打つ手の無くなった劉玄徳だが、かと言って自分を頼ってくる劉琦を見捨てる事も出来ないと言う困った性格なので、最近雇った諸葛亮孔明に丸投げする。


劉備 「劉琦殿、ご安心めされよ!私のところに最近お出ましいただいた諸葛孔明先生をご紹介いたそう!先生は司馬徽殿も認める天下の大賢人であり、号して臥竜!これで大安心で御座る!」


ってな感じで孔明のいないところで勝手に難題を丸投げした。


現在で言えば政治家が脱税の罪に問われ秘書に丸投げするアレと似る。


それからというもの劉琦は孔明に会う度に「諸葛孔明殿、私は継母や蔡瑁に命を狙われry」の繰り返しである。


劉琦は孔明と会う度に涙を流し、良策を懇願し、孔明も劉琦と会う度に「またかこのガキ・・・」と嫌な顔をしたのである。(たぶん)


変に策を授けても、蔡瑁&蔡瑁姉のマーダーリストに諸葛亮孔明と言う名が輝くだけだし、そもそもは蔡瑁と蔡夫人、ついでに劉琮をぶっ殺してしまえば済む話で、古今東西、家督のために肉親を害す話などは世の中にあふれている。


ただ、孔明としては本来は荊州を劉備に獲って欲しいわけで、実際何度も劉備に「我が君におかれましては劉表を攻め滅ぼし、荊州を獲られますよう。」と献策しているのだが、当の劉備が変に善人面してこの献策を受け付けないので仕方ない。


ついでに言えば劉表から息子二人は荊州を収める器では無いので、自分亡き後は劉備殿が、と荊州を譲る旨も直接伝えられているが劉備は「吾忍びず」とこれを断った。


何が忍びずなのかこの際劉備の胸ぐら掴んで小一時間くらい問い詰めたいところだが、まぁとにかく忍びなかったのである。困った人だ。


そもそも劉表が劉備に荊州を譲るって話自体が創作である可能性が非常に高い


実際のところ劉琦が奮起して蔡瑁一味を皆殺しにして荊州を強引にでも(本来は劉琦が継ぐべき土地だし)治めていれば少し違った展開の三国志が見れたかもしれない。


とまれ、そんなことはなかったので、毎度のように相談を持ちかけてくる劉琦に対して


孔明 「他家の事に口を挟むような立場では御座いませぬ故、その話はなさいませぬよう」


とかなんとかヒラヒラと躱すわけだが、劉琦も自分の命がかかっているのだから必死である。


ある日、劉琦は貴重な書籍が倉庫で見つかったので是非、諸葛孔明殿に見ていただきたい!と連絡する。


会う度にお家騒動の相談を受けていた孔明はうんざりではあったが、貴重な書籍と聞いては古書マニア孔明の血を抑えることは出来ず、例の話はしないと言う約束の下、劉琦邸へと赴くのである。


案内されたのは庭に建ててある別棟だった。


梯子がかけてあり、それを登った先にその貴重な古書はあるのだと言う。


劉琦と孔明が梯子を登り、さて、古書は・・・と探していると。


劉琦 「孔明殿、私は継母と蔡瑁に命を狙われておりry」


と、持ちネタを話し出そうとしたところ、古書でつられて騙されたと知り、当然のように憤慨した孔明は


孔明 「あー!もうッ!劉琦君、今日はその話はしないって言ったよね!?約束したじゃん!亮もう帰る!」


となったのだが、梯子は外されており、帰るに帰れない。


誰もいないし、目も耳も届かない高所の密室で二人きりだ。


更には劉琦は短刀を取り出して、「ご教示くださらぬとあれば、我が命運も是迄。ここで果てまするぅぅぅ」と涙ながらに自分の喉元に短刀を突きつけるメンヘラぶりを遺憾なく発揮するから孔明も観念せざるをえなかった。


孔明からすれば、勝手に死ね!と言ったところではあるが、さすがにこの状況で劉琦が自害すれば、どう言い繕ったとしても公子殺しの罪が自分に降りかかるのは天才軍師でなくとも解る。


仕方ないので、大きなため息をついて


孔明 「公子之重耳不知哉」(公子は重耳を知らずや)


と、遂にアドバイスをすることとなる。


重耳とはかつて国の公子でありながら劉琦と同じく家督争いであらぬ嫌疑をかけられ、国を脱出し各地を彷徨い、老境に達してやっと故国へ戻り王となった人物である。


ま、正当性無く、国を奪った者の治世は長くは続かないので、その間は国から身を遠ざけ、機を見て荊州へ戻れば安泰でしょう。と言ったようなアドバイスである。


劉琦はこれに深く感謝し、大声で呼ばわって使用人を呼び出し、梯子をかけさせ二人は高所の密室での密談を終えるのである。


孔明のアドバイス通り、劉琦は荊州自体を離れ、遠方の重要拠点、江夏の太守になることを、父・劉表に願いで、劉表も劉琦の身の上を案じていたのでこれを許可し、蔡瑁&蔡瑁姉の殺戮の魔の手から逃れることとなる。


まぁこのことを恩に思っていたのだろう。劉琦はその後、曹操軍に散々に追われて逃げ惑う劉備に援軍をよこしたりしている。


この逃亡劇の前後に博望坡の戦いで夏侯惇の10万の軍をセント・エルモス・ファイアーで壊滅させたり、荊州に侵攻してきた曹操軍の先手、許褚らの軍勢10万をまたしても新野城下ごとベギラゴンで焼き尽くしたり、臥竜孔明の名を大いに上げた勝ちに等しい逃亡であった。


と言う風に演義ではさわやかに記されているが、どちらも完璧な創作であるので、この時点で孔明は特に何も活躍していないということを記しておく。


問題は劉琦と孔明の密室談義が何故こうも詳らかに記されているのか?


という部分であろう。


誰もいない高所の密室での密談。二人以外誰も知らなかった。と書かれているにも関わらず、我々はこのくだりをしっかりと知っている。



ムム!?ってことはこれも三国志演義の創作!?と思うかもしれないが困ったことに、三國志(正史)にもしっかりとこの密談の様子と内容は記されているので実際にあったのだろう。


じゃあ誰が・・・・ということだが、孔明側からのリークか劉琦側からのリークか、それともスーパーエージェント的な誰かがこの密談を耳にしていたのか、いずれにせよ歴史の闇は深い。


さて。


劉琦が逃げた(赴任した)江夏だが、この土地はこの土地で色々ややこしい土地だ。


ずばり言えば、東の荒らくれ集団、孫呉に常に狙われるデンジャラスな土地だ。


あ、劉琦ね。劉琦はその後病没した。しかも1年後に。


病没した、が、医療の発達していないかの時代、病で最後を迎える人は少なくない。


ゆうなら趙雲だって孔明だって、張角だって、袁紹だって、病で没している。


だから別に劉琦が病で没したところでなんら不思議なことではないのだが、前述したように、演義においては平素から病弱で、病弱というよりは虚弱で気の弱いダメ人間みたいに描かれているのが不憫ではある。


ついでだが荊州を継いだ劉琮や、その義母(演義では実母)である蔡夫人のその後だが。


曹操の荊州入りの後すぐに荊州を追い出され、尚且つ左遷地への道中で斬り殺されている。


と言うのは、どうあっても曹操に冷酷非道の極悪人というキャラ付けをしたい演義でのお話であって、実際は確かに荊州を追われたが、遠くの地で捨扶持をもらい細々と生き永らえている。


更に曹操の非道さを際だたせるために演義においては劉琮は当時14歳で、まだ何も分からぬ無垢な少年だったと言う設定もなされている。(実際は24~26だった)


ま、いずれにせよ、殺されたか殺されてないかは大きく違う。


いずれにせよ荊州から追い出されてるじゃん!やっぱ曹操悪人じゃん!と思うかもしれないが、統治のことを考えればこれは至極当然の処置であろうと思われる。


前主、劉表ならまだしも、人民の信望もない劉琮に任せておくよりは、自身の古参の配下から適任者を選出し任せたほうが魏にとっては有益なのは言うまでもない。


このような例は我が国でもあり、例えば三河松平家(後の徳川家)を支配下においた今川義元は、松平家を遠ざけずそのまま三河の領主として支配下においている。


この例は今川義元が、曹孟徳と比較して温情あふれる御仁であることを示すのかと言うと、そうではない。


支配後、より支配地の統治を円滑にすすめるに適した処置を取ったまでのことである。


支配地の領主が民心を得ておるならば、下手に当主を害し、百姓人民を離れさすよりそのままにし、傀儡として支配したほうが全てにおいて円滑なのだ。


松平家(後の徳川家)は地元出身の豪族であり、民の支持も非常に高かったので、下手に廃して今川家臣を置くと民の逃散の可能性がかなり高かったというわけ。


逆であれば当主を遠ざけ、或いは殺し、自身の配下を新当主として擁立するほうが円滑と言うだけである。


浅井家の幼主を磔にし、木下藤吉郎に浅井領を与えた織田信長がこの例にあたる。


ま、いずれにせよ劉表が懸念していたとおり、息子である劉琦、劉琮、共に荊州を保てるほどの力量はなかったと結論していいだろう。





3人の中なら


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思わぬ流れで三国志について触れたので、もう少しだけ触れておこうと思う。


劉備のとこの3人に関する私見


関羽雲長


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劉玄徳の義兄弟にして、三国志における無双の武人の一人。現在中国では神(商売の)として祀られている。


この人に関して、どういうイメージがあるだろうか。


全国の関羽ファンを敵に回した挙句に謎の中国組織から暗殺者を派遣される恐れもあるが、率直な私見を忌憚交えず書くとする。


蜀が滅んだA級戦犯じゃね?


と言うのが、オレの正直なところ。


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といった意見もあるだろうが、この人の失態は街亭を奪われた馬謖の比ではないと思う。


なんせ中原におけるスーパーウルトラグレートデリシャスワンダフル超重要拠点である荊州を奪われているのだから。


解りやすく言えば戦における拠点の1つを奪われたのが馬謖。国の領土を奪われたのが関羽。


孔明は戦における勝敗を左右するような重要拠点を慢心と油断から奪われた馬謖を哭いて斬ったという。


ならば、国家の存亡すら左右する重要領土を奪われた関羽に対しては、胸ぐら掴んで唾を吐きかけて散々罵倒した挙句に一族郎党打ち首にして、死後も墓に糞ぶっかけるくらいな事はしないと示しがつかない。


が、そうはしなかった。何故なら荊州の陥落とともにこの英雄も死んだからなんだけど。


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関羽ファンは口を揃えて言う。


呂蒙の汚い謀略で!!呉の腐れ外道がぁ!!と。


だがそうだろうか?


孫権仲謀の息子、孫登と、関羽の娘の縁談を持ってきた呉の使者に対し、関羽は答えて曰く


「狢子敢えてするのみ」


マイルドな日本語に直すと、「どっかの川べりの狢(ムジナ)のガキに、虎の娘をやれるわけねーだろwww」と言う意味である。


流石にこれはない。


孫権は呉王。蜀の同盟国の頭だ。


関羽は有名とは言えど、立場としては蜀の一武将に過ぎない。


その一武将に、同盟国の王の息子との縁談が来たのだ。これは破格と言ってもいい。


呉からすれば、孫権からすれば、相当に謙った申し出だ。


親心もあろうから、有難く受けるべきとまでは言わないが(国を思えば当然そうすべきなのだが)、断るにしてもせめてもう少し言い方というものがある。


考えてみてほしい。


例えどれだけ自分の好みに反する女性に告られても、「やだよ、お前みたいなブタゲルゲと、オレのような超イケメンが付き合うわけねーだろww」などとは余程心無い人間でなければ言わないはずだ。


少しでも情ある人間ならば、どう相手を傷つけないように断るべきかに砕心する。


ケースが違うが、取引先の会社の社長から娘との縁談を切り出された平社員だってもうちょっとましな断り方をするというものだ。


別に断ったからと殺されるでもない、現代を活きる我々一般人ですらそうなのだ。


ましてや、かの時代だ。


相手は王族。断り方ってものがある。


穏便に穏便に。恐縮した様子を見せながらも最終的には「私如きの愚息に身に余る光栄では御座いますれども、孫仲謀殿のご子息に我が娘をなどとは余りに畏れ多いこと、王のご子息には同じく王の子女こそが相応しいと存ずる。この件、我主劉玄徳に言上させていただくことをお許し頂き、怖れながらも謹んで此度の縁談は・・・」


ってな感じの断り方でもすれば孫権の面目も立ったし、関羽も上手いこと劉備に孫権のアホ息子を押し付けれた。


なのにこの髭ときたら・・・・


そりゃ孫権は激怒する。兵も繰り出す。


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子を持つ親なら孫権の気持ちも痛いほど分かるのではなかろうか。


結果、重要拠点である荊州はまるっと奪われ、髭自身も命を奪われる羽目になった。


更に言えばこの時荊州の諸軍(味方)が誰も助けに来なかったと言うのもポイントだ。


もう無理だからとか、助けに行って此処を奪われたら困るからとか色々描かれているが、単純に傲慢な関羽を味方武将の皆もよく思ってなかった可能性も否めないというか、そっちの可能性が非常に高い。


更には髭の仇討ちに大軍を率いて出陣した劉備もこっ酷くやられて、国力を大いに弱める結果となった。


人材マニアの曹操があれ程まで欲しがったのだ。武力は凄まじかったのであろうと思う。


千里行などを鑑みるに義心、忠誠心も並外れてあったのであろうと思う。


ただしその傲慢さ、大局を見据えて立ち居振る舞いを考えられぬ蒙昧さはそれらを上回るものがあった。


プライドが異様に高い脳筋と言うべきか。


陳寿(正史著者)もこう言っている。


「羽は卒伍を善待して士大夫に奢る」


要は、「関羽は身分の低い者には優しかったが、偉い人には傲慢に振る舞った」という感じ。


プライドの高さ故か、劉備の義兄弟故か、いずれにせよ困った人だったのである。


各作品では張飛のほうが野蛮人で困った人のように描かれているが、なんなら関羽のほうが数段困った人ではないだろうか。


この時、長男である関平も一緒に斬首されているが、何故か演義では養子扱いである。


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演義の派手な創作を好むオレでも思わず、この変な設定要る?(関平は実子)と首を傾げずにはいられない。


わざわざ養子設定にされた関平もあの世で首を傾げているだろう。


ただでさえ傲慢な関羽の息子だ。生前も影で「お前の父ちゃんひ~げ!」とか陰口叩かれていた可能性もある。


挙句、養子扱いである。誠に報われない。


最後に何故この人が商売の神様として中国全土、更には横浜や長崎の中華街なんかで祀られてるかというと。


塩の密売してたから。


横山三国志あたりでは、劉備と出会う前のことはサラっと省かれて、登場初期から知性と武勇を感じさせる男として登場しているが、元々は塩の密売をしていてそれが役人に見つかったので、逃げ込んできていた村で、村のチンピラの親分をしていた劉備と懇意になって、桃の林で呑んだくれて兄弟分の盃を交わしたそうだ。


要するに元は闇商人だったのだ。だから商売の神様なのだ。納得いただけただろうか?


オレはいまいち納得いかない。


その論法だと、数百年後に田代まさしが、写真の神と祀られる日が来てしまうではないか。


と、まぁ関羽のアレなとこばかり書いたが、オレは関羽嫌いじゃないよとフォローを入れて次。



張飛益(翼)徳


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これも中々に困った人だ。


劉玄徳の義兄弟にして、三国志の中でも極めて戦闘力の高い豪傑として描かれている。


長阪で一喝(叫び声)して人を殺したとか、呂布と互角に撃ち合ったとか、色々な豪傑エピソードに事欠かない(創作も多い)が、実際に魏において「万人の敵(一人で一万人に匹敵するの意)」と怖れられていたようなので凄まじい殺戮マシーンだったのは事実であろう。


だが残念なことにこの人も義兄である関羽と似て、かなりアレである。


呑んだくれて殺戮の矛先を身内に向けることもしばしばで、そのせいで流れ者劉備がやっとありつけた拠点である下邳呂布に奪われてしまったのは荊州を奪われた関羽ほどではないにしても普通なら打ち首ものの失態である。


ついでにこの時、劉備の妻子をほっぽらかして逃げ延びているのも相当にダメ人間のポイントが高い。


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劉備は寛容にもそんな張飛を「義弟よ、お前が生きていて良かった」とかなんとか大人物っぽく許すわけだが、実際のところはあまり妻子に愛情がなかったのではなかろうかと思う。


劉備夫人と言えば糜夫人甘夫人が著名ではあるが、実際はかなりの女好きでこれ以外にも多くの妻を抱えては(領土もないくせに)別れたり、戦争で負けて奪われたりしている。


劉備Disに話が傾いたので張飛に話を戻そう。


張飛は森の中でたまたま見かけた女を気に入ってさらって無理やり嫁にしている。


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ある意味では運命の出会いと言えなくもないが、普通に解釈すると、無理やり拉致監禁した上で強姦し、勢いで自分の嫁にしたというとんでもない話である。


しかもよくよく素性を尋ねると敵国、魏の重臣、夏侯淵の娘だったと。


この夏侯氏との間に2女を作っているが、その二人共、劉備のバカ息子(劉禅)の嫁になっている。


最後も兄者(関羽)の仇討ちだ!と意気込んで出陣したが呑んだくれた挙句、部下に無茶苦茶な命令をしたり、平素からの横暴さが仇となり、手下に寝込みを襲われて首を刎ねられている。


はっきり言って無茶苦茶だ。


もし彼が現代に生きていたとして、飲み会の席で彼の話中にスマホでも見ようものならカラオケのリモコンで殴られて頭を縫うくらいでは済まなかっただろう。


陳寿評して


「飛は君子を敬愛して小人を恤せず」


身分の高い人は敬ったが、身分の低い人間には容赦がなかった、と言う事だ。


髭とは間逆である。


関羽、張飛、共に、その性格の難故に自らの命を縮めてしまったと結ばれている。


とは言え、粗暴で飲んだくれでどうしようもないが、なんとなく憎めないやんちゃな奴というテイストで各所扱われているので人気は驚くほど高い。


オレも張飛嫌いじゃない。と再度のフォローを入れて次。




趙雲子龍


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劉備の腹心にして、中国で最も人気のある武将。


中国人の友人曰く、中国で最も人気があるのは趙雲なんだそうだ。なるほどね、三國無双とかのOPでやたらと推されるのも納得だ。


まぁ確かにこの人は前述の二人と比較すると困った人エピソードが無い。


各作品でも清廉な質実剛健な男の中の男的な描かれ方をしている。実際にゲームや漫画でも大抵が戦闘力の高そうなイケメンとして描かれる。


血生臭い劉備の義兄弟二人と比較すると爽やかささえ感じさせる男となっている。


横山三国志ではなぜかドカベンで言う山田太郎のように描かれているが。


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実際に長坂で、敵軍の中に埋もれた主(劉備)の妻子を取り戻すため単騎突入して見事に息子を取り戻して生還したのだから、武力で言っても髭や呑んだくれに劣らぬレベルの殺戮マシーンだったのであろうと思う。


常識的に考えると、魏軍数万の中に単騎で斬り込んで、赤子を抱えて生還するなど土台無理な話なのだが、ここでも人材マニアの曹操の悪癖がでていて、「アイツ部下にしたいから殺しちゃいけんよ!生け捕りにしんさい!」とか言うもんだから。


趙雲も魏軍の殺気の無さに気付いて、これ幸いにとワンサイドジェノサイド(虐殺)をかまして、名を挙げるとともに主君の跡継ぎを救うという大武功をたてたわけである。


阿斗(息子)を抱いて戻ってきた趙雲に対して、劉玄徳は


「子龍はまさに全身これキモッ!」


と言い放ったそうだ。


斬り殺しまくった魏軍の返り血や内臓とかで全身から異様な匂いを放っている、血塗れの趙雲を見てキモかったのだろう。


ん・・・・。そんな話だったかな。


子龍全身之肝也(趙雲は肝(勇気)の塊だ)が正確だったかもしれない。キモ違いか。まぁどっちでもいい。


とにかく忠誠心に厚く、武勇も関・張に劣らない上に酒癖も悪くなく、気持ち悪いレベルで髭を伸ばしたりもしないし、森の中で見かけた女をさらって嫁にしたりもしない人だったようだ。


ちなみにこの時、趙雲に差し出された赤子(阿斗=後の劉禅)を劉備は地面に叩き落としたという。


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劉備 「この小童が!」


趙雲 「我が君!何をなさいます!」


劉備 「子供はいくらでも作れるが、この子供のために子龍を失うところであったわ・・・・」


趙雲 「我が君・・・・・それほどまでに私のことを・・・」


的な、いい話かどうなのか正直悩んでしまうやりとりがあったそうだ。これでは阿斗を救うために涸れ井戸に身投げして足手まといになるのを避けた糜夫人も浮かばれない。


糜夫人


ま、糜夫人が井戸に身投げするのも演義での創作ではあるのだが。


糜夫人は劉備軍の幹部である糜竺の妹であるという知らなくていいことも一応書いておく。


好意的に解釈すると、趙雲と共に魏軍の返り血や臓物を浴びていた阿斗が臭かった(orキモかった)から思わず投げ捨てたのかもしれない。


いずれにせよ張飛の項で書いた、劉備、妻子にあまり関心ない説がここでも浮上する。


まぁ趙雲はこの後も関羽、張飛のような失態を犯すこと無く、普通に殺戮を繰り返していたので3人の中では一番マシと言えなくもない。


なるほど中国の人気No1なのも頷首できる。




と、こういう感じで、オレなら3人のうちの誰かを自分の仲間にするなら、そりゃもう。ねぇ?


どうだろう。


密売人上がりの傲慢な髭男か、猪売り上がりの酒乱の豪傑か、堅物だが一般常識を持ち合わせた好漢か。


どれも共通して屈指の殺戮マシーンではあるが、仲間にするなら?


と言う私見。








重要なことは


Edit Category 未分類
唐突だが、オレは歴史好きとか宣う(一部の)人間を大層好ましく思っている。


それと同時に歴史好きと称する(一部の)人間が嫌いだ。


字面だけ見ると果てしなく矛盾しているようだが、これから述べる理由を読んでいただけると、聡明な人には「さもありなん」とご理解いただけるものと確信している。


歴史好きを好きな理由は、お互い歴史好きなので趣味が合うのだろうと想像する人も少なくないだろう。


だが、それは一概にそうは言えないと言う事を覚えて帰ってほしい。


歴史に興味がない人からすれば、「AとBはどっちも歴史好きだから共通の趣味あっていいよね」などと語尾に♪か☆でも付ける勢いで微笑ましく見るかもしれないがそうではない。


例えばAは大の幕末好きで、意気揚々と坂本龍馬の偉大さや、高杉晋作の業績についてあたかも自分が見てきたかの如くに饒舌に話し始めるのだ。


それでいて敵対組織でもあった新撰組に関しても一定以上の高評価をもって幕末と言うシーンの素晴らしさを切々と訴えてくる。


ところが、だ。


オレは幕末に関しては寸毫も興味がない。


フレッシュファミリーも薩長同盟もも、五稜郭にもさっぱり興味が無いのだ。


しかも悪いことにごく一般人が知るレベルには幕末に関しても修めているので、熱く語られても新鮮味もない。


しかもなんだろうなぁ、これはオレの偏見も多分に入っているが、どうにも幕末好きの輩の傾向が気に入らない。


何故に奴らはファーストネームで呼びたがるのか。


「竜馬は!」だの「あの時歳三が!」だの、それでいてなぜか奴らは沖田だけは「沖田総司が」とフルネームで呼ぶ。


近藤勇に関しては「近藤さん!」とあたかも自分の上司であったかのように「さん付け」だし、西郷隆盛に関しては「さん」を飛び越えて「どん付け」だ。西郷どん。


まさか坂本龍馬氏(故人)も数百年を経た時代の人間に「お~い竜馬」とかフランクに呼ばれているとは想像もしなかっただろうと思う。


そこらの歴史好きと言うよりは歴史的人物のファンボーイ的な感がどうにも受け付けない。


挙句の果てに幼女の裸のDVDを所持していて逮捕されてみたりと幕末ファンはこれだから・・・、と、失礼。これはまた違うお話でしたね。


かと言って、自分と同じく戦国時代が好きな人間とはすべからく気が合うのか?と問われると、面倒なことだがそうはいかないのだ。


上杉謙信好きと武田信玄好き(双方ともに狂信的な)が仲良くするのは困難だろう。


下手すると、「おい!お前そこまで言うならちょっと川中島来い!」ってなことになりかねない。


「あ?車懸るぞコラ・・・?」「やってみんかい!!!うちの騎馬軍団ナメとんのか!」と一触即発だ。


蒲生氏郷好きと伊達政宗好きが、酒を酌み交わす事は無いし、本願寺派が織田派を好ましく思うことなど無いのだ。


戦国時代好きといえども、その材料だけで仲良く出来るかと問われると甚だ疑問なのである。


では中国は後漢、俗に言う三国時代好き同士ならどうか?


劉玄徳好きは曹操の非道さを声高に叫び、曹孟徳好きが劉備の欺瞞ぶりを悪し様に批判する。


孫仲謀好きが「まぁまぁw」と窘めると「日和見の呉は黙っとけ!」とお叱りを受ける。


呂布推しが彼の武勇を大いに賞賛し、孔明派と仲達派がその智謀と功績を比べ合い、公孫瓚好きは肩身の狭い思いをする。


戦国時代と同様にそのような対立図はあれども、我らの母国の歴史では無いせいか、比較的に客観的に見れる人が多く、多少の推しの違いはあれども最終的には。


「やっぱ三国志最高だよな!」


と、大きなジャンルとしての三国志好きとして仲良く慣れる傾向にある。


ただし、ここで問題になるのは正史派か、演義派かという点だ。


例えば、苦肉の計などでもそれが顕著に出る。


苦肉の計と言えば皆さんご存知、呉の大都督にして眉目秀麗の御仁、周瑜公瑾と、宿将、黄蓋の策略だ。


魏の大軍と国の存亡をかけた戦いを控えた呉陣にて、大都督(総司令官)である周瑜に対し、


黄蓋 「オドレ、この若造が!何をビビっとんなら!滞陣してばっかでよう戦わん臆病モンが!!」


と、呉の困った爺さんが悪態をつくと、若き司令官が


周瑜 「なんじゃとワレ!!ゆうたな、この穀潰しの爺が!いてまえや!!」


と、上官侮辱罪で黄蓋の肉が裂ける程に打ち据えて、それを恨みに思った黄蓋が魏へ投降するんである。


と、見せかけて実はこれは魏の間者(スパイ)を欺くための策で、実際は周瑜と黄蓋が予め打ち合わせた元にやってのけた自作自演の小芝居である。


それを信じたスパイが親分である曹操に報告し、曹操も黄蓋の魏への投降を認めるわけだが。


黄蓋は投降すると見せかけて、魚油を染み込ませた船で突撃し、ビッグファイヤーで魏軍の大船団に放火する。


蜀の放火魔が孔明ならば、呉の放火魔は陸遜か黄蓋だろう。


まぁこのくだりを見て、皆は周瑜と黄蓋の計略に感嘆し、さても見事な策であると。


実際はそんな事実は無かったってのが問題。


演義しか読んでない人からするとこれは史実であり、さすがは周公瑾!黄蓋も見事!と手放しで賞賛する場面。


孔明に好き放題やられっぱなし(演義で)だった周瑜の最大の活躍の場ですらあるにも関わらずだ。


そんな事実はないのである。


演義の悪どい緻密なところは、赤壁関連の見せ場の一つである、蜀のファンタジスタ、諸葛亮孔明がなにやら怪しげな祭壇(七星壇)を建てさせ、その上でこれまた怪しげな祈祷を行い、火攻に不可欠な東南の風を呼び出すというくだり。


周瑜 「く・・・・火攻めするにも東南の風が吹かぬ事には・・・ッ」


孔明 「ならば私が秘術を持って東南の風を吹かせてみせましょう」


周瑜 「なんだと・・・・!?そんなことが・・・」


孔明 「キてますキてます、キてますコレ!!」


東南の風が吹く


周瑜 「孔明は化物か・・・・!?彼奴を生かしておいては呉の災いになる・・・殺すのだ・・・!」


みたいな流れで、赤壁の、いや、孔明の見せ場の1つとなっている。


軍略、政略はお手の物、更に天候までをも自在に操るスーパー軍師として描かれるわけだが、流石に無理があると思ったのだろう。


作中で、実は孔明は怪しい術で風を呼んだのではなく、長年の天候を調べていて、そろそろ東南の風が吹くというのを知っていたのだ!みたいな注釈がなされている。


この注釈により、皆はこう思うわけだ。


「さすがに妖術じゃなかったか。でも天候までも知り尽くして風の吹く日にちを正確に当てるなんてやっぱり諸葛亮はすごいや!!」


と。


羅漢中(演義の編者)マジックにうまくかかってるわけだ。


最初にちょっと信じ難いくらいのでかい風呂敷を広げておくと、その後の注釈のリアリティー、信憑性が増すと。


ようするに孔明は東南の風を呼んでいないし、風が吹く日を当てたりもしていない。


ついでに言えば、実際は周瑜と孔明が争ったと言う事実もない。当然10万本の矢など集めていないし、小物感満載で描かれる魯粛はもっと有能な人物であったし、もちろん龐統士元が曹操を騙して船を鎖で繋がせた(連環の計)なんて事実もない。



が、正史派からすると、そんな子供向け(当時の中国の)に派手に創作された与太話を、あたかも史実のように語られるのは気持ちよくないというわけだ。


「夏侯恩?青紅の剣??」「博望坡の戦いで孔明がセント・エルモス・ファイアーで夏侯惇の10万を焼き払った?」「呂布と劉備三兄弟の大立回り?」


などなど諸々の演義フィクションを説破し、それらを史実と信じて胸を熱くさせている演義派をハハンwwwと鼻で笑うのだから、これが仲良く出来るわけがないのだ。


オレ?オレは別にどっちも好き。正史も演義も。


だから別に演義を信じてる人が


「周瑜の見事な策略で、曹操に蔡瑁を誅殺させたんだぜ!!!」


とか言ってきても別に


「いや、蔡瑁は普通に斬られてないし、それどころかその後も生きて結構出世してるよ。」


などと返したりはしない。


そうだねそうだね、やっぱ周公瑾すごいね!と言っておけばいいのだ。内心「バカだなこいつ」と思ってても。


寺田屋の銃痕を見て、「すごい!今もこうやって残ってるんだね・・・」とか言う彼女に「バーカ、あとで建て直されてるからそれも後から付けられたんだよ!」とかわざわざ言う必要はあるまい。


それはサンタクロースを信じる子供に、真顔でサンタクロースの存在を否定するような行為と似る。


と、言ったように歴史好きだから、プロレス好きだから、なんだかんだと言ってもそれのみで打ち解け合えるほど人付き合いとは簡単なものではないということだね。


むしろ互いに歴史が好きで造詣が深い同士よりも、そうでない人。


話す内容に「へー!そうなんだ!」と目を輝かせて聞いてくれる素人とのほうが上手く行く場合もあるだろう。


何かについて詳しくなればなるほど、同趣味を持つ人間同士で上手くいくのは逆に難しくなる。


互いを尊重し、配慮し合うとか、まぁそんな綺麗事みたいな何かが必要ということ。


逆に言えば何かで敵対、あるいは競合関係になっていてもうまくいく人同士はうまくいく。


なんで唐突にこんな記事を書いたかというと、広告消し。




追記


「ええ・・・じゃあ三国志は何から読めばいいの・・・演義は嘘が多くて、正史はつまんないんでしょ・・・」


と思う人は、別にどちらを読んでもいいと思う。


それぞれにそれぞれの。


オレなんかはむしろ正史読まなきゃ良かった、まである。いや、あった。


横山三国志から入ったオレには、正史で突きつけられた現実はかなりヘビーだった。


アニメガンダムしか見てない人が、原作(小説)ガンダムを見てセイラさんの濡れ場に嬉しいような落胆するような気持ちになるのと似たような。


まぁ結局のところほんとうの意味で正確なところなんて今を生きる我々には分からんわけだし、それが周囲に悪影響を及ぼさないレベルであれば自分が好きなものを、自分の史実として愉しめばいいんではなかろうか。
 
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